ひとりごと

2018/09/07
実践
去る9月4日、東京は多摩永山情報教育センターへ行ってきた。

4月に軽井沢で研修をした「若竹塾」の出発式があったのだ。
若竹塾とは、美容師の中でも一流のリーダーになるための教育機関で、父の代から坐禅研修に携わらせていただいている。

約1年半、歴史や偉人からその生き方を学び、講師の話を聞いて、一流のリーダーになるための研修を積み重ねていく。

出発式とは、いわば1年半の集大成の場で、言い換えると「卒塾式」であるが、今までの研修の成果を発表し、これからの人生へ羽ばたいていく「出発」の場でもある。

講師陣は志ネットワーク代表の上甲晃先生、松下政経塾所長の金子一也先生など、まさに一流の先生方。
講師の先生方のお話はどれも素晴らしかったが、とりわけ上甲先生のお話には感心させられた。わかりやすく、こちらが考える時間もあり、心に直接響いてくる。

「魅力ある人間に」「実践が大切」「思いやりのある人間に」

中でも実践の大切さは言うまでもない。
どんなに勉強しても、それを実際の生活に生かさなければ意味がない。専門道場で修行をして自分のお寺へ戻ったら、その専門道場での経験を、今度は実際の生活に生かさなければいけないのだ。

専門道場では坐禅三昧の日々。しかし実際の生活で一日中坐禅しているわけにはいかない。専門道場で培った「今、ここ」を大切に、檀信徒の教化、境内・伽藍の整備などに努めていかなくてはいけない。

昔、後輩が専門道場から実家の寺へ戻った時、専門道場の生活と同じように朝のお勤めの後坐禅をしていたら、奥さんから、
「そんなところに座っていないで、こっちを手伝って!」と言われた笑い話があるが、環境も立場も違うので同じ生活はできない。

「専門道場での生活は陰の修行です。お寺へ戻ったら、その陰の修行が役に立ちます。それを土台に今後は実際の生活という陽の修行に励んでください」

専門道場の師家(修行僧を指導する僧侶)に言われたことを思い出す。

経験してきたことを、実際の生活に生かす。

悲しい経験をしたら、同じ境遇の方を慰めることができる。
辛い経験をしたら、同じ境遇の方を励ますことができる。
経験に無駄なものは何一つない。


私が私になるために
人生の失敗も必要でした
無駄な苦心も 骨折りも 悲しみも
みんな 必要でした

私が私になれた今
すべて あなたのおかげです
恩人たちに手を合わせ
ありがとうございますと
ひとりごと


をさはるみさんの「ひとりごと」である。

私が私になる。私が本当のわたしに成る。ほとけに成る。成仏。
色々な経験をしたからこそ、私の価値観、執着、分別心がほどけていった。心のしこりがほどけていった。ほとけとなった。ほどける⇒ほとけ。
私の中に「わたし」がある。「ほとけ」があった。

様々な経験を通して、「ほとけ」のこころに立ち返りたいものである。

経験したことを実践する。今年もあと4か月を切ったが、目標としよう。
2018/08/05
忙しいけれど
6月と7月は忙しかった。
「大丈夫かな?」と思いつつ、予定を書き込む自分。

気が付いてみると、6月1日から7月23日まで1日中お寺にいるということがなかった。

「ブログ見てますよ〜」と言われるたび、「更新していなくてすみません」と謝ること数回。

お盆の付け届けを持ってこられるお檀家にも、
「良かった〜、和尚さんがいらっしゃって」
「・・・・・・」

何を慌ただしくしているのかわからないけれど、でもいざ1日中お寺にいても、「さて、何をしようか」と考え込む始末。

明日から12日までの8日間で5回の施餓鬼会法話。
あるお寺さんからは、
「お檀家の親戚が北海道から聞きに来るからね〜」と。

忙しいというのは、「心が亡くなること」。
慌ただしいのは、「心が荒れていること」。

「俺は忙しい」「慌ただしかった」などと言うのは、自分で自分の心が亡くなっている、荒れていると宣言しているようなものだ。

もう忙しいとか慌ただしいなど使うのはやめよう。

禅の教えは、「いま、ここ、自分」ではなかったか。

やりたいことよりも、やるべきことを熱心にやっていこう。

自分が「いま、ここ」に徹することで、自分を救い、他をも救うことができるのではなかろうか。

自分が光ることによって、他を光らせることができる。


ならば、暑い中お参りに来られる方に、もっともっと光っていただけるように、私も一層努めて参りたい。
2018/08/03
合掌
先月末、部内寺院の施餓鬼会出頭の後、一度帰ってから大急ぎでお通夜へ行く支度をしていると、インターホンが鳴った。

「〇〇新聞です。今月の集金に参りました」

出かける時の来客、うどんやそばを食べているときの来客や電話。イラっとするときはないだろうか。


「ハイ!どうぞ!」と大声で返答すると、外国人風の男性がお辞儀をしながら入ってきた。


支払いを済ませてから私は尋ねた。

「どこの国の方ですか?」

すると彼は
「ミャンマーです」と言いながら、胸の前できれいに手を合わせるではないか。そのしぐさの自然なこと、美しさといったら何とも表現のしようがなかった。


某お仏壇の会社のCMで、
「おててのしわとしわを合わせてナ〜ム〜」というものがあった。

いったい合掌とは、手を合わせて帰依(きえ、お任せする、南無)することだけれども、自分は何に帰依をしているのか。

法衣を身にまといながらも、「何でこんなときに来るんだよ」と環境に左右され、環境に振り回されている自分。


昔、修行していた頃は、していただいたことに対して、すぐさま合掌をしていた。
コンビニでおつりをいただくときも合掌をして笑われたこともあったけれど、ごく自然に「おててとおててを合わせていた」。

古い道歌に、
「右ほとけ左衆生と合わす手の中にゆかしき南無のひと声」
とあるけれど、仏の存在を見失っていたことを恥じるばかりである。

今一度、手を合わせて「南無」と念じて、忘れていた自分の中の仏のこころを呼び戻して、「南無」のこころそのままにその場の環境にお任せして、忙しくともこころ穏やかに過ごしていきたい。
2018/07/26
釈宗演展
6月4日から慶應義塾大学三田校舎の図書館及びアートスペースにおいて、釈宗演展が開催されている。

釈宗演禅師は円覚寺派の元管長で、今年100年忌を迎える。

詳しい伝記は他に譲るけれど、禅の修行の後に、慶應義塾において英語をはじめとした学問を学ばれて、その後福沢諭吉などの理解者を得ながらセイロンやアメリカにおいても活動なさった、禅の教えが世界に広がるきっかけを作った方である。

また、聞くところによると、大乗仏教と小乗仏教という区別を初めてされた方とか。

そんな釈宗演禅師100年忌の記念特別展が、ゆかりのある慶應義塾大学において開催されているのである。


一般的に禅僧の展覧会というと、墨蹟や法衣、袈裟などが陳列されているイメージがあるが、今回は慶應義塾大学ご出身ということで、慶應義塾の在学生の成績表、入社帳、当時の慶應義塾の学則、禅師の英語学習帖、福沢先生還暦祝いの禅師が記した漢詩、釈宗演禅師宛献辞入の『福翁百話』、「福翁自伝」原稿、福沢諭吉の書、釈宗演禅師が福沢諭吉の死に際して贈った漢詩、セイロン留学中の今北洪川(いまきたこうせん、釈宗演禅師の師)宛の手紙、セイロン修行の証明状、シンハラ文字で書かれた釈宗演禅師の書、釈宗演禅師宛の鈴木大拙書簡、渡米日記、シカゴ万国宗教会議における2度目の演説原稿(英語)、夏目漱石の書簡、『門』の原稿などなど、興味は尽きない。

次の釈宗演禅師の遠諱は50年後。おそらくこの世にはいない。いても、今のように慶應義塾大学の先生方とご一緒に仕事をさせていただくことなどないだろう。

実家は慶應義塾大学から徒歩数分のところなのだが、頭のほうが足りなくてずっと遠い存在であった。しかし今回の展覧会において様々な方々と新たなご縁を頂戴し、アートセンターと実家の架け橋にもなることができた。

目に見えない不思議なつながりであるこのご縁や、遠諱に巡り合えたことに感謝をしたい。

展覧会は8月6日まで。
2018/04/19
北軽井沢へ(編集)
4月15日、春の嵐で八重桜の花びらと常緑樹の葉が舞い落ちる中、掃除をしなければと思いつつ、見て見ぬふりをして軽井沢へ向かった。

若竹塾という美容業界の中で人間力の向上をはかり、一流のリーダーを目指す方々による学びの場。彼らの研修が16日17日の2日間、北軽井沢の日月庵で行われた。

今回は10期生。
思えば1期生の時から携わらせていただいているけれど、彼らはよく学び、よく気づき、こちらとしても研修のし甲斐がある。

北軽井沢の研修所は通常、ゴールデンウイークに開けて、10月ごろ閉める。冬場はとても寒くて研修どころではない。今年は−18度まで下がったとか。

「魔法瓶に残っていたわずかな水が凍って、カランカランと音を立てていたよ」雪深い越後湯沢からお手伝いに来てくれた和尚もビックリ。


閉め切っているので、毎回初めには窓の開け閉めをはじめ、布団を干さなくてはならない。

いつもは実家の兄と一緒にやっているのだが、今年は兄が不在。私も不手際があって、準備をすることができない。ということで、2名の和尚にお手伝いをお願いした。


4月2日に兄とお手伝いの和尚1名と下見に行き、至るところをチェック。新幹線で東京駅から1時間ちょっと。軽井沢駅からレンタカーで向かったのだが、本当に便利になった。

昔は新幹線の駅もなければ、高速道路のインターもない。かつては、碓氷峠を越えなければいけなかったので、手前の横川駅で補助機関車を連結したり解放したり、その合間に横川の釜めしを買ったり、あるいは車で行けば、高崎インターまたは前橋インターから下道でトコトコ、東京の実家から4、5時間かけて行ったものである。


15日の夕方に北軽井沢の研修所に着いたのが、昼前に到着した2名の和尚が完璧に下準備をしてくれていた。

研修所、母屋、坐禅堂の開け閉め、机の移動、布団干し(曇っていたので、研修所に並べて風を通す)及び片付け、寝具の数の確認、食器類を洗う、ストーブの確認、箸袋作り、部屋の掃除などなど。


翌日は3人で、足場の悪い研修所から母屋まで約50メートルを19組の布団を運び、2つの大きな風呂を洗って、研修生をお迎えした。


昼頃、塾生到着。総勢28名。
夕方まで松下政経塾所長の金子先生の講義を聞き、夕食を挟んで小生の話と坐禅。

夕食は先輩塾生2名による絶品料理。
通常、台所で私もお手伝いをさせていただくのだが、先輩塾生の1人が元料理人ということで、お手伝いは不要。にぎり寿司を自らにぎるとは恐れ入りました。

後輩塾生のために、仕事を休んで、約30人分の食事を作る。過去の先輩塾生のこころが、留まることなく染みわたっていることに感心した。


彼らの当面の目標は9月に行われる出発式。修了式のようなものだが、それに向けてテーマを決めたり、次の研修場所を決めたり。


「すべてについて美しく」
講師の先生に言われた言葉を実践していくにはどうしたらいいのか。時には熱く、時には笑顔を見せながら、12時ごろまで議論を重ねていた。


翌朝は5時起床、5時半坐禅、6時半粥座(しゅくざ、朝食)。禅の生活を体験していただくために、専用の器で召し上がっていただき、漬け物で器を洗う。食べる時も、器をしまうときもしゃべらず、音を立てない。

その後は掃除を挟んで、先輩塾生から叱咤激励の後、またミーティング、そして12時に閉校式を行って解散となった。


慣れない環境で、慣れない作業、慣れない話を聞き、睡眠不足の中、塾生たちは出発式へ向けて、きっと何かヒントを得たに違いない。

たくさん悩んで、たくさん苦しんで、思いどおりにならない中でいかに考え、行動していくのか。

世話役の方々もおっしゃっていたけれど、レールを敷くのは簡単、レールが無ければ何もできないようなリーダーになってしまう。

人を育てることは本当に難しい。「基本的考え方の相違や、仕事をするにあたっての根幹的思想が違ったりする事も多く」、世話役も苦心しているようだった。


しかし、

自分の価値観に留まらない、様々なおかげさまをいただいている自分、自分が主体的に行動することによって、周りをも輝かすことができる、そんな言葉が2日目になって彼らから聞かれたとき、私が研修中何度も伝えた、何事も第一人称として受け止める「来た時よりも美しく」なっている塾生がいた。


世話役や先輩塾生、そして若く未来ある塾生。あなた方がいらっしゃるから、私も勉強ができ、話をさせていただくことができた。この学びを大切にして、11期生の研修に生かしていきたいと思う。私もまたよい研修をさせていただいた。

「艸莽崛起(そうもうくっき)」
立ち上がれ10期生!

9月の出発式が楽しみである。



*写真はお手伝いの和尚が撮影したもの。

2018/04/19
仙台へ
4月13日、仙台へ向かった。

21日に行われる布教師の同期の晋山式(住職就任式)に参加できないため、お祝いを持ってご挨拶に伺ったのである。

東京からノンストップで1時間半ちょっと。便利になったものである。

お寺に到着すると、境内のあちらこちらで工事の真っ最中。おそらく晋山式に向けて、急ピッチで作業をしているのだろう。

私の姿を見て同期は驚いた様子。そりゃそうだ。

こういう時は難しい。あらかじめ連絡を入れると、先方の時間を拘束してしまうし、連絡をしなければ慌てて時間を作らねばならない。ましてや、一生に一度の晋山式の直前。工事関係者と綿密な打ち合わせの最中。

でも忙しい中でも、タクシーが迎えに来る10分ほどの間、境内を案内してくれた。

良き仲間がいるということは、何よりのこころの拠りどころ。

震災の爪痕が残る中で、必死に復興を成し遂げようとする彼の姿勢に感銘しつつ、晋山式の成功をお祈りしてお寺を後にした。

2018/04/03
はるになると みんなみんな めをさます
桜が散り始めた。
満開が3月27・28日頃。29日から散り始めた。

境内のもみじは早くも新芽を出し、厳しい寒さを乗り越えた女王バチが生き返ったように飛び回る。地面に目をやると、石と石の間から雑草が生え、色とりどりの花が咲き誇る。

春になると、みんな目を覚ます。

下の娘と戯れていると、一生懸命に何か歌っている。歌詞を聞いていると、


はるになると みんなみんな げんき
つくしんぼが おそらに むかって
ぐんぐん ぐんぐん
ちょうちょうも おそらに むかって
ひらひら ひらひら
ことりも おいかけて
ちゅんちゅん ちゅんちゅん
はるになると みんなみんな めをさます

はるになると みんなみんな げんき
おひさま おそらの うえから
きらきら きらきら
チューリップが おそらに むかって
ゆらゆら ゆらゆら
かえるも とびはねて
ぴょんぴょん ぴょんぴょん
はるになると みんなみんな めをさます


音楽教室で習った歌だそうだ。

おそらく彼女は「つくしんぼ」を知らないし、「かえる」が「ぴょんぴょん」しているのも見たことはない。

けれども「はるになると みんなみんな げんき」ということは、理解しているようだ。

「はるになると 〇〇ちゃん(自分の名)も げんき」

そう自分で歌詞を変えて歌っているのだから。

「はるになると みんなみんな げんき」になるのは、きっと厳しい冬の寒さを乗り越えたからではないだろうか。

厳しい苦労を精進することによって乗り越えたからこそ、花を咲かせることができる。

「花開きて万劫(まんごう)の春」

こののどかな日々が未来永劫続くことを祈りたいけれども、

「花春来たって、情さらに深し」

咲く花とやがては散っていく花を、自分の人生に重ね合わせてみれば、春の夜の夢の如しともいえる。

「自分は精進しているのか」
「厳しい苦労から逃げ出してはいないか」

大自然が目を覚ましたように、私もいい加減、目を覚まそう。

そのうち父とは遊んでくれなくなるであろう愛娘から教わるために、今日も戯れる。
2018/03/29
こころのお手入れ
久しぶりの更新。

彼岸中の22日より客殿の屋根改修工事を開始した。

約30年前に新築した客殿なのだが、近年雨漏りが何度かあり、銅板もボコボコ。親しい大工からも「和尚さん、修理した方がいいよ」と言われて7,8年。

和尚の仕事はいくつかある。檀信徒の教化、布教、境内の整備、後継者の育成などなど。その中に、伽藍の整備というものもある。

この大きな建物を維持していくだけで大変である。年々歳々良くなっていけばいいのだが、ハクビシンの侵入、シロアリによる被害、地震による壁の崩落など、悩みは尽きない。

考えてみれば、我々人間は病気になれば病院に行き、運動不足かな?老いたなと思えば、ウォーキングをしたり体操をしたり、健康診断に行ったりと手入れをしているわけである。

そう考えると、住まわせてもらっているわけだし、建物の手入れをするのは当然だ。

いつも愚痴ばかり。
そう、こころの手入れも怠ってはならない。毎日毎日身だしなみを整えるように、こころも調えよう。
毎日毎日、無心に作業する大工さんのように。

2018/03/21
春彼岸会
雪の降る中、お参りいただき誠にありがとうございました。

雨は覚悟しておりましたが、まさか雪が降るとは思いませんでした。それでも「記憶に残る春彼岸になっていいじゃないですか」という多くの声をいただき感謝しております。

今後ともご法愛賜りますようお願い申し上げます。
2018/01/30
仏のこころに立ち返る
江戸時代後期に活躍をした禅僧、良寛さん。親しみを込めて、「良寛さん」とお呼びするが、この良寛さんがあるお茶会に呼ばれた時のこと。

そのお茶会では、1つの茶碗に入ったお茶を少しずつ飲んで、隣の人に回していく、というものであった。

ところが!
隣の人から茶碗を受け取った良寛さんは、あろうことか、残りのお茶を全部口に入れてしまった。

全部口に入れてしまったところで、「ん?」と、場の空気を察したのであろう。良寛さんは、ようやくルールに気が付いた。


こんなとき、皆さんはどうしますか?

本当は残しておかないといけないのに、全部口に入れてしまった。どうしますか?


良寛さんは、口に入れたお茶を、茶碗に吐いて戻したのである。

私だったら飲んで謝り、もう1服点ててとお願いするが、問題は次の人である。

良寛さんの次の席にいた人は、その良寛さんがお茶を口に入れて、それをまた茶碗に戻した、事の一部始終を見ていた。


もし次の人だったらどうしますか?「私はちょっと」と言って、その次の人に振りますか?でも振られた人も困ってしまいますよね?

それとも、「もういいから、良寛さん、全部飲んじゃってください。もう一服、点ててください」とお願いしますか?


良寛さんから茶碗を受け取った人は、困りながらも、

「南無阿弥陀仏!」と言って、お茶をいただいたのである。


色々と本を読むと、これは良寛さんの茶の湯批判とか、形式ばったものを嫌ったのだとか、もう1服、新しいお茶を点ててもらうべきだとか、ユーモアのある逸話を残したとかあったが、果たしてそうなのか。

禅僧の逸話であるからには、そこに「法」という、教えが隠されているのだと思う。そうでないとただの笑い話になる。


色々と解釈はあろうかと思う。
1つは、困った時、「初心にかえる」こと。
でも初心に戻っても、それが相手に対して失礼なこととなっては、ただの迷惑である。


私が思うには、次の人が「南無阿弥陀仏」と言っていることに注目したい。

「南無阿弥陀仏」だから、阿弥陀さまに救いを求めているようにも取れるし、お茶に対して言っているのであれば、「お茶よ、死んでください」とも取りようによっては取れるが、何だか物騒である。

ということは、自分に対して「南無阿弥陀仏」。死んでしまえば味も香りもわからないから、「南無阿弥陀仏」と。

そこをさらに、もう一歩進めて、「南無阿弥陀仏」とお唱えすることによって、自分を殺して、自分の価値観を滅却して、自分の価値観に留まらない、分別を超えた自分に立ち返って飲んだのではなかろうか。

お釈迦様の教えは、「誰もが仏のこころを持っている」ということ。そのこころというのは、「かたよることのない、とらわれることのない、こだわることのない、とどまることのない、清らかなこころ」。
そういうこころを誰もが持っている。

しかしそれを私たちは、普段仕事やなんだって忙しくしていることを言い訳に、忘れてしまっている。この忘れるということを、専門の言葉で「迷い」という。

しかも、忘れてしまったことも忘れているから、なかなかたやすいことではないのだが、各人がしっかりと仏さまのこころを持っている。

つまり、ここでは「南無阿弥陀仏」と阿弥陀さまのことを指しているが、突き詰めて言えば、仏さまのこと。仏さまのこころと同じ。

だから、良寛さんが吐き出したお茶を飲んだ人にも、仏のこころがしっかり具わっていて、それを実際に行動で示した。

つまり、「南無阿弥陀仏」と呼びかけるのは、阿弥陀様に救いを求めるのではなくて、忘れていた私たちの本心本性、私たちの心の本心である、仏さまのこころを呼び戻すために、「南無阿弥陀仏」と言って、仏のこころで飲んだのではないか。


『延命十句観音経』の第一句目に、
「観世音」とあり、まず初めに、「観世音」とお唱えすることによって、自分自身の中ある観音さまのこころに立ち返る、これと同じ道理である。

「南無阿弥陀仏」とお唱えして飲むことはたやすいことではない。しかし少しでも近づけるように、何に対しても仏のこころで行動していきたいものである。

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