ひとりごと

2019/03/23
豆腐のごとく
3月もあと1週間ほどで終わり。

今は卒業シーズン。来月になれば入学、入社と出会いのシーズン。
環境が変わり、最初は戸惑う人も多いと思います。

人それぞれ好きな物、嫌いなものがあるかと思いますが、私は豆腐が大好きです。毎日食べても飽きません。

安いものは3個パックで6、70円で売っておりますが、単に安いから食べるのではありません。

それはどんな料理にするにしてもおいしいからです。


荻原井泉水に「豆腐」という随筆があります。

豆腐ほど好く出来た漢はあるまい。彼は一見、佛頂面をしているけれども、決してカンカン頭の木念人ではなく、軟かさの点では申し分がない。
しかも、身を崩さぬだけの締まりはもっている。煮ても焼いても、食えぬ奴という言葉とは反対に、煮てもよろしく、焼いてもよろしく、汁にしても、あんをかけても、又は沸きたぎる油で揚げても、寒天の空に凍らしても、それぞれの味を出すのだから面白い。
また、豆腐ほど相手を嫌ばぬ者はない。チリの鍋に入っては鯛と同座して恥ぢない。スキの鍋に入っては鶏と相交って相和する。
ノッペイ汁としては大根や芋と好き友人であり、更におでんにおいてはコンニャクや竹輪と協調を保つ。
されば正月の重詰めの中にも顔を出すし、佛事のお皿にも一役を承らずには居ない。彼は実に融通がきく、自然に凡てに順応する。蓋し、彼が偏執的なる小我を持たずして、言わば無我の境地に到り得て居るからである。
金剛経に「應無所住而生其心」=應に住する所無くして而も其の心を生ずべしとある。これが自分の境地だと腰を据えておさまる心がなくして、与えられたる所に従って生き、しかもあるがままの時に即して振舞う。此の自然にして自由なるものの姿、これが豆腐なのである。


いかがでしょうか。

環境が変わり、「こんなはずではなかった」「何であの人、あんなことを言うんだろう」などと迷いの原因を外に向ける前に、まず自分の足元を見つめ直してみてはいかがでしょうか。

煮ても焼いても、油で揚げても、自分の我が出さずに、相手と上手に調和しながら、自分の味も出し、相手の味も出していく。

そして場所を限定せずに、至るところで力を発揮する。

そんな豆腐のような心を持ちたいものです。
2019/01/29
2月の坐禅会
2月の坐禅会は所用のため休会とさせていただきます。よろしくお願い申し上げます。
2018/11/29
みんな観音さま
「衆生本来仏なり」あるいは「みんな観音さま」と言うけれど、いまいち信じられない方へ、心温まるお話をご紹介します。

これは布教師の先輩からいただいたお話で、その先輩もある和尚様からお聞きしたお話のようです。

以下、ご紹介します。


長い間入院していたご主人が、退院して自宅療養をしていた。

奥様は和尚に言った。
「これ以上入院しても治る見込みはないので、自宅で過ごさせてあげるようにと、退院を勧められました。いつも暗い表情で、壁を見つめたままじっとしています。私には何もしてあげられないのが残念です」

それを聞いた和尚は、奉書に『延命十句観音経』を書いて奥様に渡した。
「古くから大変なご利益があると言われているお経です。ベッドの前の壁に貼っておいて、気が向いたら唱えてみてください」

翌日お目にかかると、二人ともすっかり表情が明るくなっていた。奥様は笑顔で言われた。
「二人でいつも『延命十句観音経』を唱えています。唱えると心がやすまります。主人も気持ちが楽になったようで、表情も明るくなりました。これなら本当に、素晴らしいご利益があるかもしれませんね」

しかし半年後、ご主人は帰らぬ人となった。あまりに突然の出来事であった。
訃報を聞いたとき、和尚はお二人に対して申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。『延命十句観音経』のご利益で病気が快復するという奇跡は起こらなかったからだ。

ところが奥様は、こうおっしゃった。
「亡くなる数日前、主人がこんなことを言いました。[このお経を唱えたら観音さまが遠くからやって来て助けてくださるのかと思っていたが、そんなことはなかった。一番近くにいる、お前が観音さまだった。今まで気づかずに、自分のことばかり考えていた。もう十分に助けてもらったよ。本当にありがとう。]主人は手を合わせながらそう言ってくれました。過去には[この人のためにこんな大変な思いを・・・]と思ったこともありましたが、長い介護の苦労やつらかったことが、スーッと胸から消えていく気がしました。そのときの私には、目の前で手を合わせてくれている主人こそが、観音さまに見えたのです。その後、病状が急変してからも、二人とも心安らかに最期の時を迎えることができました。


幼い頃、亡くなった祖母から「『延命十句観音経』を唱えられるようになりなさい。観音さまがいらっしゃいますよ」と言われた。

でもそれは、観音さまが目の前にいらっしゃるのではなくて、自分の中の観音さまの心が目覚めるということでした。35年経ってようやくわかりました。

お話に出てくる奥様も、(介護のつらさは言うまでもないけれど)ご主人のお言葉で心のしこりがスーッとほどけていったその心境。ほどけた→ほとけた→ほとけになった。元々奥様に具わっていた仏さま(観音さま)の心に立ち返ることができたのだと思います。


思いどおりにならないことに腹を立てては愚痴を言い、愚痴を言っては腹を立ててる私。
この世は自分の思うようにはならないのだと気づいた今、これからも『延命十句観音経』を唱えて、少しでも心安らかに過ごしていきたいと思います。
2018/09/22
留まらない
お釈迦さまの印象というと、「やさしい」「崇高な」、そんなイメージである。

しかし、お釈迦さまのお言葉を読んでいると、そんなイメージを覆すものがたくさんある。

例えば、
「汝(なんじ)の生涯は終わりに近づいた。汝は閻魔王の近くにおもむいた。汝には、みちすがら休らう宿もなく、旅の資糧(かて)も存在しない」
「頭髪が白くなったからとて長老なのではない。ただ年をとっただけならば、”むなしく老いぼれた人”と言われる」
「人の快楽ははびこるもので、また愛執で潤される。実に人々は歓楽にふけり、楽しみを求めて、生れと老衰を受ける」
    『ブッダの真理のことば』中村元訳、岩波文庫より

実に辛辣かつ、物事の道理を的確に言い得ていらっしゃる。

中でも、女性に対してどのように対応すべきであるか、弟子のアーナンダの質問に対する回答に思わず笑ってしまった。

「見るな。見てしまったときは話しかけるな。話しかけてしまったときには、つつしんでいなさい」

昔のインドでも托鉢などで女性を見ることもあろうし、当然きれいな女性が歩いていたら目に入るのは至極当然であろう。

私の修行時代に托鉢に出かけた時、一列に並んで歩いているのだが、女性とすれ違うと、かぶっている網代笠(あじろがさ)が前から順に笠が女性を追っていくという出来事がよくあったけれど、お釈迦さまがいらっしゃったら激しく叱責されていたであろう。

見るなと言われても、やはり目に入ってしまう。話しかけることはまずないが、話しかけられたらつつしんでいられるだろうか。

幕末明治に生きた禅僧の原坦山(たんざん)。彼は東京帝国大学の講師としても仏典を講じた傑僧でもあった。彼の若い時代の話がある。

坦山が、戒律を厳しく守る親友の僧と二人で、全国に善き師を求めて旅に出た時のこと。
橋のない川に出くわし、そこを渡りかねて困っている若い女性を、坦山はためらうこともなく抱えて向こう岸まで渡してあげた。

それを見ていた戒律を厳しく守る同輩は怪訝(けげん)そうな表情。しばらくすると同輩は坦山のことを「お前の行為は破戒だ」と罵った。出家の身でありながら、女性を抱えたからである。

しかし坦山は涼しい顔をして、「俺はもう女性を下(おろ)したけれど、まだお前は女性を抱えているのか」

というエピソードである。

坦山が女性を向こう岸まで渡してあげて、「あー、いい女性だったな」と余韻にふけっているようであれば、それこそ執着(しゅうじゃく)である。しかし心に痕跡を残さない、心を留め置かない、これが大切なこと。

戒律を厳しく守るのは結構だけれど、心を留め置くことで、同輩は執着にがんじがらめに縛られている。

自分にとっていいことがあっても、そこに留まってしまえば有頂天になる。
逆に悪いことがあっても、そこに留まってしまえば、人は失意のどん底から抜け出せない。

過ぎ去ったことを追うことなかれ。

心を留めず、今なすべきことを熱心に成していく。

お釈迦さまの「つつしんでいなさい」とは、そういうことではなかろうか。
2018/09/07
実践
去る9月4日、東京は多摩永山情報教育センターへ行ってきた。

4月に軽井沢で研修をした「若竹塾」の出発式があったのだ。
若竹塾とは、美容師の中でも一流のリーダーになるための教育機関で、父の代から坐禅研修に携わらせていただいている。

約1年半、歴史や偉人からその生き方を学び、講師の話を聞いて、一流のリーダーになるための研修を積み重ねていく。

出発式とは、いわば1年半の集大成の場で、言い換えると「卒塾式」であるが、今までの研修の成果を発表し、これからの人生へ羽ばたいていく「出発」の場でもある。

講師陣は志ネットワーク代表の上甲晃先生、松下政経塾所長の金子一也先生など、まさに一流の先生方。
講師の先生方のお話はどれも素晴らしかったが、とりわけ上甲先生のお話には感心させられた。わかりやすく、こちらが考える時間もあり、心に直接響いてくる。

「魅力ある人間に」「実践が大切」「思いやりのある人間に」

中でも実践の大切さは言うまでもない。
どんなに勉強しても、それを実際の生活に生かさなければ意味がない。専門道場で修行をして自分のお寺へ戻ったら、その専門道場での経験を、今度は実際の生活に生かさなければいけないのだ。

専門道場では坐禅三昧の日々。しかし実際の生活で一日中坐禅しているわけにはいかない。専門道場で培った「今、ここ」を大切に、檀信徒の教化、境内・伽藍の整備などに努めていかなくてはいけない。

昔、後輩が専門道場から実家の寺へ戻った時、専門道場の生活と同じように朝のお勤めの後坐禅をしていたら、奥さんから、
「そんなところに座っていないで、こっちを手伝って!」と言われた笑い話があるが、環境も立場も違うので同じ生活はできない。

「専門道場での生活は陰の修行です。お寺へ戻ったら、その陰の修行が役に立ちます。それを土台に今後は実際の生活という陽の修行に励んでください」

専門道場の師家(修行僧を指導する僧侶)に言われたことを思い出す。

経験してきたことを、実際の生活に生かす。

悲しい経験をしたら、同じ境遇の方を慰めることができる。
辛い経験をしたら、同じ境遇の方を励ますことができる。
経験に無駄なものは何一つない。


私が私になるために
人生の失敗も必要でした
無駄な苦心も 骨折りも 悲しみも
みんな 必要でした

私が私になれた今
すべて あなたのおかげです
恩人たちに手を合わせ
ありがとうございますと
ひとりごと


をさはるみさんの「ひとりごと」である。

私が私になる。私が本当のわたしに成る。ほとけに成る。成仏。
色々な経験をしたからこそ、私の価値観、執着、分別心がほどけていった。心のしこりがほどけていった。ほとけとなった。ほどける⇒ほとけ。
私の中に「わたし」がある。「ほとけ」があった。

様々な経験を通して、「ほとけ」のこころに立ち返りたいものである。

経験したことを実践する。今年もあと4か月を切ったが、目標としよう。
2018/08/05
忙しいけれど
6月と7月は忙しかった。
「大丈夫かな?」と思いつつ、予定を書き込む自分。

気が付いてみると、6月1日から7月23日まで1日中お寺にいるということがなかった。

「ブログ見てますよ〜」と言われるたび、「更新していなくてすみません」と謝ること数回。

お盆の付け届けを持ってこられるお檀家にも、
「良かった〜、和尚さんがいらっしゃって」
「・・・・・・」

何を慌ただしくしているのかわからないけれど、でもいざ1日中お寺にいても、「さて、何をしようか」と考え込む始末。

明日から12日までの8日間で5回の施餓鬼会法話。
あるお寺さんからは、
「お檀家の親戚が北海道から聞きに来るからね〜」と。

忙しいというのは、「心が亡くなること」。
慌ただしいのは、「心が荒れていること」。

「俺は忙しい」「慌ただしかった」などと言うのは、自分で自分の心が亡くなっている、荒れていると宣言しているようなものだ。

もう忙しいとか慌ただしいなど使うのはやめよう。

禅の教えは、「いま、ここ、自分」ではなかったか。

やりたいことよりも、やるべきことを熱心にやっていこう。

自分が「いま、ここ」に徹することで、自分を救い、他をも救うことができるのではなかろうか。

自分が光ることによって、他を光らせることができる。


ならば、暑い中お参りに来られる方に、もっともっと光っていただけるように、私も一層努めて参りたい。
2018/08/03
合掌
先月末、部内寺院の施餓鬼会出頭の後、一度帰ってから大急ぎでお通夜へ行く支度をしていると、インターホンが鳴った。

「〇〇新聞です。今月の集金に参りました」

出かける時の来客、うどんやそばを食べているときの来客や電話。イラっとするときはないだろうか。


「ハイ!どうぞ!」と大声で返答すると、外国人風の男性がお辞儀をしながら入ってきた。


支払いを済ませてから私は尋ねた。

「どこの国の方ですか?」

すると彼は
「ミャンマーです」と言いながら、胸の前できれいに手を合わせるではないか。そのしぐさの自然なこと、美しさといったら何とも表現のしようがなかった。


某お仏壇の会社のCMで、
「おててのしわとしわを合わせてナ〜ム〜」というものがあった。

いったい合掌とは、手を合わせて帰依(きえ、お任せする、南無)することだけれども、自分は何に帰依をしているのか。

法衣を身にまといながらも、「何でこんなときに来るんだよ」と環境に左右され、環境に振り回されている自分。


昔、修行していた頃は、していただいたことに対して、すぐさま合掌をしていた。
コンビニでおつりをいただくときも合掌をして笑われたこともあったけれど、ごく自然に「おててとおててを合わせていた」。

古い道歌に、
「右ほとけ左衆生と合わす手の中にゆかしき南無のひと声」
とあるけれど、仏の存在を見失っていたことを恥じるばかりである。

今一度、手を合わせて「南無」と念じて、忘れていた自分の中の仏のこころを呼び戻して、「南無」のこころそのままにその場の環境にお任せして、忙しくともこころ穏やかに過ごしていきたい。
2018/07/26
釈宗演展
6月4日から慶應義塾大学三田校舎の図書館及びアートスペースにおいて、釈宗演展が開催されている。

釈宗演禅師は円覚寺派の元管長で、今年100年忌を迎える。

詳しい伝記は他に譲るけれど、禅の修行の後に、慶應義塾において英語をはじめとした学問を学ばれて、その後福沢諭吉などの理解者を得ながらセイロンやアメリカにおいても活動なさった、禅の教えが世界に広がるきっかけを作った方である。

また、聞くところによると、大乗仏教と小乗仏教という区別を初めてされた方とか。

そんな釈宗演禅師100年忌の記念特別展が、ゆかりのある慶應義塾大学において開催されているのである。


一般的に禅僧の展覧会というと、墨蹟や法衣、袈裟などが陳列されているイメージがあるが、今回は慶應義塾大学ご出身ということで、慶應義塾の在学生の成績表、入社帳、当時の慶應義塾の学則、禅師の英語学習帖、福沢先生還暦祝いの禅師が記した漢詩、釈宗演禅師宛献辞入の『福翁百話』、「福翁自伝」原稿、福沢諭吉の書、釈宗演禅師が福沢諭吉の死に際して贈った漢詩、セイロン留学中の今北洪川(いまきたこうせん、釈宗演禅師の師)宛の手紙、セイロン修行の証明状、シンハラ文字で書かれた釈宗演禅師の書、釈宗演禅師宛の鈴木大拙書簡、渡米日記、シカゴ万国宗教会議における2度目の演説原稿(英語)、夏目漱石の書簡、『門』の原稿などなど、興味は尽きない。

次の釈宗演禅師の遠諱は50年後。おそらくこの世にはいない。いても、今のように慶應義塾大学の先生方とご一緒に仕事をさせていただくことなどないだろう。

実家は慶應義塾大学から徒歩数分のところなのだが、頭のほうが足りなくてずっと遠い存在であった。しかし今回の展覧会において様々な方々と新たなご縁を頂戴し、アートセンターと実家の架け橋にもなることができた。

目に見えない不思議なつながりであるこのご縁や、遠諱に巡り合えたことに感謝をしたい。

展覧会は8月6日まで。
2018/04/19
北軽井沢へ(編集)
4月15日、春の嵐で八重桜の花びらと常緑樹の葉が舞い落ちる中、掃除をしなければと思いつつ、見て見ぬふりをして軽井沢へ向かった。

若竹塾という美容業界の中で人間力の向上をはかり、一流のリーダーを目指す方々による学びの場。彼らの研修が16日17日の2日間、北軽井沢の日月庵で行われた。

今回は10期生。
思えば1期生の時から携わらせていただいているけれど、彼らはよく学び、よく気づき、こちらとしても研修のし甲斐がある。

北軽井沢の研修所は通常、ゴールデンウイークに開けて、10月ごろ閉める。冬場はとても寒くて研修どころではない。今年は−18度まで下がったとか。

「魔法瓶に残っていたわずかな水が凍って、カランカランと音を立てていたよ」雪深い越後湯沢からお手伝いに来てくれた和尚もビックリ。


閉め切っているので、毎回初めには窓の開け閉めをはじめ、布団を干さなくてはならない。

いつもは実家の兄と一緒にやっているのだが、今年は兄が不在。私も不手際があって、準備をすることができない。ということで、2名の和尚にお手伝いをお願いした。


4月2日に兄とお手伝いの和尚1名と下見に行き、至るところをチェック。新幹線で東京駅から1時間ちょっと。軽井沢駅からレンタカーで向かったのだが、本当に便利になった。

昔は新幹線の駅もなければ、高速道路のインターもない。かつては、碓氷峠を越えなければいけなかったので、手前の横川駅で補助機関車を連結したり解放したり、その合間に横川の釜めしを買ったり、あるいは車で行けば、高崎インターまたは前橋インターから下道でトコトコ、東京の実家から4、5時間かけて行ったものである。


15日の夕方に北軽井沢の研修所に着いたのが、昼前に到着した2名の和尚が完璧に下準備をしてくれていた。

研修所、母屋、坐禅堂の開け閉め、机の移動、布団干し(曇っていたので、研修所に並べて風を通す)及び片付け、寝具の数の確認、食器類を洗う、ストーブの確認、箸袋作り、部屋の掃除などなど。


翌日は3人で、足場の悪い研修所から母屋まで約50メートルを19組の布団を運び、2つの大きな風呂を洗って、研修生をお迎えした。


昼頃、塾生到着。総勢28名。
夕方まで松下政経塾所長の金子先生の講義を聞き、夕食を挟んで小生の話と坐禅。

夕食は先輩塾生2名による絶品料理。
通常、台所で私もお手伝いをさせていただくのだが、先輩塾生の1人が元料理人ということで、お手伝いは不要。にぎり寿司を自らにぎるとは恐れ入りました。

後輩塾生のために、仕事を休んで、約30人分の食事を作る。過去の先輩塾生のこころが、留まることなく染みわたっていることに感心した。


彼らの当面の目標は9月に行われる出発式。修了式のようなものだが、それに向けてテーマを決めたり、次の研修場所を決めたり。


「すべてについて美しく」
講師の先生に言われた言葉を実践していくにはどうしたらいいのか。時には熱く、時には笑顔を見せながら、12時ごろまで議論を重ねていた。


翌朝は5時起床、5時半坐禅、6時半粥座(しゅくざ、朝食)。禅の生活を体験していただくために、専用の器で召し上がっていただき、漬け物で器を洗う。食べる時も、器をしまうときもしゃべらず、音を立てない。

その後は掃除を挟んで、先輩塾生から叱咤激励の後、またミーティング、そして12時に閉校式を行って解散となった。


慣れない環境で、慣れない作業、慣れない話を聞き、睡眠不足の中、塾生たちは出発式へ向けて、きっと何かヒントを得たに違いない。

たくさん悩んで、たくさん苦しんで、思いどおりにならない中でいかに考え、行動していくのか。

世話役の方々もおっしゃっていたけれど、レールを敷くのは簡単、レールが無ければ何もできないようなリーダーになってしまう。

人を育てることは本当に難しい。「基本的考え方の相違や、仕事をするにあたっての根幹的思想が違ったりする事も多く」、世話役も苦心しているようだった。


しかし、

自分の価値観に留まらない、様々なおかげさまをいただいている自分、自分が主体的に行動することによって、周りをも輝かすことができる、そんな言葉が2日目になって彼らから聞かれたとき、私が研修中何度も伝えた、何事も第一人称として受け止める「来た時よりも美しく」なっている塾生がいた。


世話役や先輩塾生、そして若く未来ある塾生。あなた方がいらっしゃるから、私も勉強ができ、話をさせていただくことができた。この学びを大切にして、11期生の研修に生かしていきたいと思う。私もまたよい研修をさせていただいた。

「艸莽崛起(そうもうくっき)」
立ち上がれ10期生!

9月の出発式が楽しみである。



*写真はお手伝いの和尚が撮影したもの。

2018/04/19
仙台へ
4月13日、仙台へ向かった。

21日に行われる布教師の同期の晋山式(住職就任式)に参加できないため、お祝いを持ってご挨拶に伺ったのである。

東京からノンストップで1時間半ちょっと。便利になったものである。

お寺に到着すると、境内のあちらこちらで工事の真っ最中。おそらく晋山式に向けて、急ピッチで作業をしているのだろう。

私の姿を見て同期は驚いた様子。そりゃそうだ。

こういう時は難しい。あらかじめ連絡を入れると、先方の時間を拘束してしまうし、連絡をしなければ慌てて時間を作らねばならない。ましてや、一生に一度の晋山式の直前。工事関係者と綿密な打ち合わせの最中。

でも忙しい中でも、タクシーが迎えに来る10分ほどの間、境内を案内してくれた。

良き仲間がいるということは、何よりのこころの拠りどころ。

震災の爪痕が残る中で、必死に復興を成し遂げようとする彼の姿勢に感銘しつつ、晋山式の成功をお祈りしてお寺を後にした。

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