ひとりごと

2016/07/19
かわかないこころ
夏の強い西日を少しでも和らげるために、緑のカーテンを始めて2年目。朝夕の水やりがここ最近の日課である。

茨木のり子さんに『自分の感受性くらい』がある。


ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


あっという間に半年が過ぎ、7月も半分が過ぎた。

平生の慌ただしさの中で、仕事が捗らないと苛立ち、勉強する時間がないと頭を抱えていた「わたくし」。「ひとのせいに」し、「近親のせいに」し、「暮らしのせいに」していた「わたくし」。
なにもかもがひよわで、ばかものだったのだ。
「わたくし」のこころは、ぱさぱさに乾いていたのだ。

思いどおりにいかないと、原因を外に求めがちである。人のせいにしがちである。

これから訪れるであろう本格的な暑さと慌ただしさ。さあ、明日からでもこころにも水やりをしよう。環境のせいにするのはやめよう。なすべきことを熱心にやっていこう。

こころに潤いを。「かわかないこころ」それは亡き師父の人生のテーマであった。
2016/07/01
花明かり
父が晩年よく使っていた言葉がある。

「花明かり」

人を喜ばせようとか、手を差し伸べようとか、そういったはからいもなく、ただそこに花が咲いているだけで周りが安らぐ。
花にはしこりがない。きれいに咲こうとか、もっと人目のつくところで咲こうとか、はからいがないから美しいのだ。

思いどおりにならないことに引きずられるのではなく、さりとて置かれた環境を責めるのでもなく、花のようにその時々のご縁に身を委ねていく。はからいもなく、しこりもなく、ご縁のままに向き合っている姿がそのまま仏となり、光となって周りを照らすのだ。

「花明かり」とはそういう言葉であろうかと思います。
2016/06/17
第18回建長寺法話スペシャル
今日は鎌倉の建長寺様で行われた、第18回法話スペシャルにお招きいただいた。昨年もお邪魔させていただいたが、和尚方が15分の法話を次々にリレーをするというユニークな企画。

テーマは「求不得苦〜合掌一礼の心〜」。「求めるものが手に入らない苦しみ」。四苦八苦の一つであり、我々が避けることのできない苦しみである。

「この苦しみは無くならない。この苦しみとどう向き合うか」ある和尚が言ったこの言葉、なぜだかわからないけれども、胸にグサッと突き刺さった。

それにしても15分の法話はやはり難しい。話を長くすることはできるけれど、15分で聴衆を惹きつける話をすることはやはり難しい。

「余計な話をせずに、スマートな法話を」とよく言われたものだが、結果は余計な話をして、時間超過であった。

「出力も大事だが、入力も大事だぞ」横田管長のお言葉である。「勉強も大事だが、人の話を聞くことも大事だ」ということ。

建長寺派の和尚様だけではなく、妙心寺派や黄檗宗の和尚様も参加されて、色々なお話を拝聴することができて非常に有意義な時間であった。

〜実るほど頭を垂れる稲穂かな〜
稲のように、人間も頭が下がるにはどうしたらいいのでしょうか。今日の私の話でした。

2016/06/17
住職研修会
6月13日から2日間、円覚寺派の住職研修会が本山の円覚寺で行なわれた。

1日目は鈴鹿市の東福寺派大泉寺のご住職である衣斐弘行師をお迎えしての布教講習会。

2日目は横田管長による「戒名と引導法語について」と、全日本仏教会顧問弁護士の長谷川正浩先生をお迎えしての「寺院運営をめぐる諸問題について」。

どれも我々とっては重要なものばかりで、非常に充実した時間であった。現状にあぐらをかいている場合ではありません。日々是勉強。

2016/06/07
墓参り
昨日6月6日は師父である哲明和尚の祥月命日。
在家の方と同じように、我々も墓参りをします。

6年前、駆け抜けるようにして70歳でこの世を去った父。
「朝には紅顔ありて夕べに白骨となる」とは蓮如上人のお言葉。人の生死は予測不能だけれども、だからこそ”いまここ”を大切にして、父からもらったいのちを全うしていく。そんな気づきをいただいた墓参りであった。

2016/06/06
来たときよりも美しく
午前中、近くの小学校の3年生が「まち探検」に来られました。100名強。
挨拶に始まって、小衲の拙い話、質問の約30分間。
小衲が平生気をつけていることですが、難しい言葉を使わずに易しい言葉で仏の教えを説くことは難しいことだと改めて感じました。まだまだ勉強不足ですね。
しかし子どもたちの好奇心旺盛なこと、元気なこと、お手洗いをきれいに使ったこと、先生の言うことをきちんと聞いていたこと。
「来たときよりも美しく」という標語があるが、こちらの心までもそうさせてくれた時間であった。
先生方、3年生の皆さんありがとうございました。

2016/05/18
愛媛県久万美術館へ
先日、愛媛県の久万美術館へ行ってまいりました。

これは平成31年に、正福寺の本山である円覚寺を江戸時代に再興された大用国師(だいゆうこくし)が亡くなって200年を迎えます。現在様々な行事の準備をしておりますが、久万美術館に大用国師の墨蹟が所蔵されているということで、円覚寺派の僧侶数名で行ってまいりました。

杉やヒノキを使った木造平屋建ての美術館はとても開放的で清々しく、書画や墨蹟、そして砥部焼などが公開されていました。
大用国師の墨蹟も大変興味深いものがあり、よい図録ができるよう各自仕事を持ち帰ってきました。
遠諱の記念行事について、追々ご紹介させていただきたいと思います。よろしくお願いします。

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